漢字というものは、色んな意味を繋ぎ合わせて作られていると言われていますよね?

例えば、“親”という感じは、子供を心配する親が“気の上に立って見ている”ということから作られたそうです。

また“木”が多くなれば“林”になり、もっと“木”がたくさんあれば“森”になるというように。

恋愛に関しても本当にその通りだなと思わざるを得ない表現が漢字に表されています。

もう、タイトルでお分かりのように、“恋”という漢字は心が下にあるので“下心が多い気持ち”、“愛”という漢字は心が真ん中にあるので“真心の情”とされているらしいのです。

言われてみれば「あぁ、そういえば…」と心当たりがある方、沢山いらっしゃると思います。

かといって、下心である恋を非難しているわけではなりません。

恋している時点で下心がない人なんていませんものね。そお感覚がこれまた楽しいのですから、“愛”の手前の段階として“恋”は必然的な物なのです!

恋をした時、恋をしている時、相手に近づきたいとか、相手に触れたいと思うのは当たり前です。

好きになった相手と触れ合いたいと思うのは生き物全てに共通することであって、それが卑猥だとかイヤラシイと思うのは違うでしょうね。

まぁ、中には、好きな相手に触れたいのではなく、体目的として気持ちが無くても異性に触れたいと思う方もいるでしょうけれど…それは恋ではなく、ただの性的欲望です。

好きな相手と体の関係を持ちたいと思うのは決してイヤラシイことなんかではありませんので、恋の下心は悪いことではないのです。

恋をしたなら、思いっきり下心を楽しんで頂きたいと思います。

もちろん、一方的な思いを行動に移してはいけませんよ?

相手にも好意の同意があった上での行動でなければ、言葉は悪いかもしれませんが強姦になってしまいます。

いくら自分が本当に相手を好きゆえの下心が突き動かした行動であっても、相手が受け入れる心がなければ絶対にいけません。

どんなに好きで好きで仕方がない相手であってでも…です。

恋の下心と勝手な一方的想いを性的欲望に繋げてしまわないよう、人としての理性を無くさないことを条件に、恋を謳歌してくださいね。

恋をして、恋の下心から相手と関係を持って、ますます相手への想いが強くなれば…次の段階として“恋”は“愛”に変わるのでしょう。

分かりやすく言えば、相手との体の関係を持つ際、「好きだよ」と言っていた言葉が、「愛してるよ」に変わる…といった感じでしょうか。

相手へ触れたい、繋がっていたいと思う感情に、プラスアルファで相手を守りたい、相手の為に何かしたいというような“慈しみの心”が生まれるのです。

「恋してるときだって、そう思っているよ!」と反論される方もいらっしゃるようですが、恋は始まった瞬間から楽しいものですよね?

誰でも新しい環境、ましてや“好き”という感情が報われている新しい環境は楽しいものです。

しかし、それが一定期間で冷めてしまう場合もあるのです。

それはそれで良いのです。

それが“恋”なのですから。その恋が継続していき、時間が経っても同じ感情同士でいられた時に、それは“愛”に変わるのではないでしょうか?

“恋”も“愛”も、大いに楽しんで幸せな時間を過ごしていけたらいいですね!