サディスティックであることを勘違いしている男性は多い。

このブログに辿り着く前に、他のブログやSNSでご主人様を募集していたという話をよく聞く。

そういった場所を経由してから僕とのやり取りが始まった女性と関係を持つことも多いが、大抵の女性はSNSなどで知り合った男性に早い段階で見切りをつける。

SNSでの出会いが悪いのではない。不特定多数の人と繋がるSNSでは男性として精査をするのが難しいので、結果的に配慮のないメッセージが大量に届くようになってしまうからだ。

奴隷を求める男性と、ご主人様を求める女性の気持ちの乖離について話をしたい。

まずは男性側の心理だ。今回は初心者Sの男性の場合について綴る。

調教経験のない男性で最も注意しなければいけないのは、M女の気持ちが全く理解できていないという点だ。気持ちを知ろうとしないという言い方をしてもいい。

未経験の男性は、M女はとにかく男性に強引にされたいと勘違いをしている。Mの女性に対しては、一方的な要求を突きつけたりいきなり命令口調になることで自分に傾くと勘違いをしてしまっている場合が多い。

端的にいうと、過程を無視して結果(とにかく奴隷になれ)を求めている。

これから自分のすべてを委ねようとするパートナーを探している女性が、その男性に気持ちが入らないのは当たり前なのだ。

 

女性側は、ご主人様になる男性について極力完璧な姿を求めている。それは単純なルックスの問題ではなく、8割は精神的なものだ。

絶対的な主を見つけたいと思っている女性は、多くの場合自立している。または自律しているとも言えるだろう。

そんな女性が自分のすべてを晒け出し、情けない姿や醜い姿を含めて認めて欲しいと思う男性は、少なくともその女性から見て尊敬できる存在でなければならない。

奴隷として従順に振る舞う女性が、その他の私生活、また仕事の上では一見Sのように見えることはよくある。その女性は自分を律し、自分が認めた男性(主人)以外の男には本当の意味で心を許すことはない。

自分を律している女性だからこそ、自分を見透かされている主人の前では取り繕うことができなくなる。自分の保ち方がわからなくなるのだ。

僕は賢い女性でなければ奴隷にはなれないと思っている。それは勉強のできる出来ないではなく、主人の要望を汲み取る気遣いと命令を忠実に守ろうとする素直さだ。

お遊び程度のSMも否定はしない。それは恋人やセフレとの関係の中で楽しめば良い。

僕に連絡をしてくる女性は、今まで経験したことがない自分を経験してみたい女性だ。拘束され、情けないほどに体液を垂らし、泣きながら懇願することもある。

そんな世界への入り口として、僕はこのブログを書いている。とにかく女性を気持ちよくして繫ぎとめたい訳ではないので、叱りもする。

調教の世界に興味がある女性が妄想してきたことは、決して恥ずかしい事ではない。踏み込むことは勇気がいるし危険でもある。

一歩目を踏み出す先を、どうか慎重に選んで欲しい。