正月の東京は毎年よく晴れて、そのことがデジャヴのように新年が訪れたことを感じさせる。
僕は例年、年が明けると日本橋で10枚程新しいワイシャツを下ろす。毎年繰り返しているせいで習慣化しており、家のワイシャツの入れ替え作業とささやかな外食が正月の楽しみとなっている。
年末年始も執筆をしているが、それでも普段に比べれば休む時間は長い。今年は人と多く会う機会を設けていたが、その中で奴隷と食事をしている時に聞かれた話を書きたい。
「なぜ作家になったか」
それにはいくつかの理由があり、最も現実的な話をすれば大学三年生の時に書いた作品がある小規模な文学賞を受賞したことがスタートとなる(趣味程度の小説は高校生の時から書いていたが)。
しかし根底というか、話を空想したり詩のように書き表し始めたのはもっと幼い時だった。
小学生の時に読んだ宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に感銘を受け、自分の想像したことをそのまま文章として表現する美しさに出会った。
小~中学生で自我が芽生え思春期を迎えた時に、自分が想像したことを言葉に表現できないもどかしさをずっと感じていた。それが学習によって補えることや経験によって補完されることも知らず、書き表せない沢山の話を自分の中に蓄積していった。
自分もいつしか大人になり、多少は語彙も豊富になった。
小説もそうだが、自分の奴隷に対して感じたことをなるべく適切な言葉で形容できるようになったと思う。
自分が書いた作品を読んで感動したと言ってくれる人もいるし、純情だった自分を思い出したという評価をくれる人もいる。
一方で僕は女性を(冷静に考えるとまったく有り得ないことだが)調教して奴隷として扱いたいと思う。
自分の中の優しさと激しさと嫌らしさが作家であり小説でありSMや調教なのだ。
自分の中ではそれらが混濁して初めて自分が成り立つのだが、社会的にはそうはいかない。
人の涙を誘う作家が奴隷を調教することは世間一般的には好ましくないのだ。
故に、僕は生計を立てるための職業としての作家と、人間としての主人である部分を分別している。主人である部分がこのブログだ。
まだまだここに書けないこともあるが、なぜ作家を職業に選んだかと聞かれれば「すべてにおいて適切な表現をしたかったから」という言葉が簡潔だろう。
M女がパートナーに選ぶ主人にも様々な職業の男性がいる。奴隷側からは立場上なかなか聞きにくい事も多いが、S男性としての魅力の他に主自身のことをよく理解することも良好な関係を築く上で大切だろう。
昨年良縁に恵まれなかった女性にも、今年は最良のパートナーが見つかることを祈っている。