「調教してあげるよ」

「奴隷にしてやる」

ご主人様を募集するM女性のネット上の書き込みに対し、このような書き込みが多くて辟易とする。これでは女性がまともなS男性と出会えないと嘆くことも無理はない。

こんなことを書くとフェミニストだと揶揄される可能性もあるが、ここはM女のためのブログである。ずっと気になっていたことを書きたいと思う。

 

Sには男性も女性もいる。勘違いS男は腐るほどいるが勘違いS女はあまり見たことがない。そもそも勘違い発言を繰り返す男性は、生物的に男性の方が上位だと思っているのだろうか。

最初に書いたような上から目線の男性は、そもそも主従関係に対する認識が間違っていると思う。主が絶対で従者は主の命令に従わなければならない。盲目的にこんな風に捉えているのだろう。

本当に良い関係を結んでいる主従は、従者が従いたいから従属しているのだ。

抽象的な言い方だが、良い奴隷がたまたま別のS男性と関係を持つことになったとしても同じような従順な奴隷になるとは限らない。奴隷は、自分が認めたその人に尽くしたいから命令を忠実に守るのだ。

多くの男性は、自分がサドであることを自称すれば奴隷を持つ権利を得ると勘違いしている。「M」と発信している女性に対していきなり「俺の奴隷にしてやる」とのたうち回る。

主である前に男性として、男性である前に人として尊敬できる人物でなければならない。

何度かブログに書いているが、良い奴隷になる女性は賢い。心身ともに努力をするし、どうしたら主が最も喜ぶかを常に考えている。また主に対する配慮も欠かさない。

主従関係である以前の男女として、尊敬し合える関係であることが必要なのだ。

もちろん、快楽主義的にとにかく気持ちのいい行為が出来れば良いとセフレのようにパートナーを探す人もいる。しかしそれは長くは続かないしそもそも「調教」ではない。ただのセックスの延長だ。

調教に対する価値観は人それぞれだが、僕は調教とは自分の理想の女性像に相手を改変していく行為だと思っている。

僕に奴隷志願をしてくる女性にも、一般的な価値観であれば完璧と評価されるような女性もいる。美しく、気立てが良く、これ以上直す所が無いといった女性だ。

そんな女性が、僕の価値観に触れたいと連絡をしてくる。一般的な完璧と僕の中の完璧は違う。女性は僕の中の完璧になってみたいと言ってくれる。

その女性が最も美しく、最も辱められると思った方法を僕は選ぶ。何もしないことが最適解の場合すらある。

 

自分が興味を持った男性がどんな男性か。

 

良い奴隷になる女性は賢いと先述した。故に、ネット上に溢れる勘違いS男に嵌る可能性は低いと思う。しかし有象無象の勘違いS男がM女のパートナー探しを阻害していることは間違いない。

男女共に、自分のパートナー探しの方法をもう一度見直してみよう。